総合政策学部 3年生(参加時)
世界のリアルな現状を知りたいと思ったことが大きな理由です。
大学に入るまで一度も海外に行ったことがなく、ただ漠然と留学にあこがれていました。はじめは、特に国際ボランティアプログラムへのこだわりはなく、むしろ、交換留学を真剣に考えていました。しかし、国際ボランティア担当の先生とたまたま出会い、徐々に国際ボランティアにひかれていくようになりました。先生の部屋を定期的に訪れていく中で、国際協力について、強く興味を持ち始め、今の世界で起こっていることを自分の目で見て感じたいと思うようになりました。現地の人々とともに汗水たらして働き、長い時間を一緒に過ごすことで、教科書やインターネットの情報だけでは得られない世界の本当の様子を知ることができるのではと考え、参加を決めました。
また、将来、高校の教師を目指しており、現地での経験が、教師になった後にも役に立つと考えました。教科書に書かれていることばかりを教える教師ではなく、実際に経験してきた、リアルな世界の状況を伝えられるような教師になりたいと思っていたことも、国際ボランティアプログラムに参加した理由です。
これら以外にも、ただ毎日学校に行くだけの学生生活ではなく、多くの人がやらなさそうなことをやってみたかったことも理由の一つです。中長期で途上国に派遣される他にはない貴重なプログラムで、一生の経験になることは間違いないと直感的に感じました。
国際ボランティアゼミを通して、派遣国であるインドネシアの現状について、文化や、社会、経済、教育など、様々な角度から調査を行いました。文献やインターネットで得られる情報を用いながら、国際ボランティア担当の先生と同じ時期に派遣される友人に対して発表を行い、ほめられたり、たまに厳しく詰められたり。それを繰り返す中で、だんだんインドネシアがどのような国なのかわかってきました。派遣される前から、派遣国や派遣先について詳しく知っておくことで、円滑に業務を進めることができます。しかし、いざ派遣されてみると、思っていたことや、調べていたこととは全然違うなんてこともしばしばありました。そのような現地に行かなければわからないことがあるというところが面白いポイントです。また、私の派遣先での業務内容が学校教育補助と日本語教育だったので、日本語教育についての授業や教育開発の授業を履修し、指導のスキルや海外の教育事情について実践的に学びました。さらに、それまで一度も海外に行ったことがなかったので、派遣前に、一度東南アジアを体験しておこうと、マレーシアフィールドワークにも参加しました。そこで仲良くなった現地の友だちと、帰国後も夜な夜な電話をしていたことが、英語力アップにつながったかもしれません。
特に印象に残っているのは、やはり生徒たちとの時間です。インドネシアに着いてから、初めて教室を見学させてもらった時の、先生の話を全く聞かずにイヤホンをしてゲームをしている生徒、机の上に足をのせてふんぞり返って授業を受けている生徒、授業がわからないと無言で教室から退出していく生徒。極めつけは学校内で平気でたばこを吸っている生徒。あの学園ドラマのような衝撃の光景は忘れもしません。これから5か月やっていけるのか不安しかありませんでした。しかし、インドネシアでのほとんどの時間を派遣先の高校生たちと過ごし、日々全力で生徒と向き合っていく中で、信頼関係が徐々にでき始めていることを実感していました。帰国直前、たまたまインドネシアの独立記念行事の関係で早く学校が終わる日がありました。その日の昼に、生徒たちから呼び出され、指定された場所に行くと、なんと、お別れのランチを計画してくれていました。ランチだけではなく、さらに、最後の思い出にと写真館まで予約をしてくれていたのです。担任していたクラスの生徒と2時間ほど写真を撮り続けたことは本当に良い思い出です。そして、帰国前日、写真館での写真と生徒一人一人からのメッセージが入ったアルバムをもらった時、本当にインドネシアに来てよかったなと心の底から思いました。先生と生徒の「教える・教えられる」の関係が、実は、私の方が教えられてばかりだったのだなと気づかされました。
一番苦労したことはやはり、「授業」です。インドネシアでは教育へのアクセス自体に大きな地域差がありますが、学校に行けたとしても、学力に大きな地域差があります。派遣先の高校はインドネシアでもめずらしい、全国各地から生徒がやってくる学校で、それまでの生徒が受けてきた教育の背景も多様です。そのため、同じ成績の条件で入学したとしても、学力には本当に大きな差があります。そのような多様な生徒が一つの小さな教室で一緒に学んでいるため、全員全く同じことをするわけにもいきません。問題演習をするときは、問題をできるだけ多く与えることにしました。早くできる生徒はどんどん進ませ、ゆっくりの生徒も最低限ここまではやるというラインを決め、劣等感やクラスを待たせていると感じさせないような工夫をしました。また、他の同僚の先生たちも感じていることは同じであるため、お互い授業に入ってサポートしたり、サポートしてもらったりすることもありました。学校はチームで動いており、一人では何もできません。しかし、派遣当初は外から来たただの大学生としか思われていなかったかもしれません。それでも、様々な困難を抱える生徒を支えるということを第一に考え、全力で取り組むことで、チームの一員として認められ、学校全体の仕事を任されることもしばしばありました。「がむしゃらに全力で取り組む」という情熱が困難を乗り越える鍵だったかもしれません。
5か月間、日本とは全く異なる厳しい環境の中で、現地の人々とともに汗水たらして働くという経験は、一生の財産になります。ただの大学生が、海外で、しかも途上国で、できることなどあるのだろうかと何度も思いました。しかし、実際に現地に派遣され、日々がむしゃらに高校生と向き合っていく中で、ボランティアだからこそできる自分の役割があると感じました。教えているつもりが教えられていることの方が多かったかもしれません。それでも、その微力がまわりまわって社会のためになっていると信じています。
出願当時は、一度も海外に行ったことがなく、また、特別英語ができたわけでもありません。しかし、一歩踏み出してチャレンジしたからこそわかる、自分だけが知っている世界があります。5か月間の途上国での生活はハードルが高いかもしれませんが、意外に何とかなるものです。日々の大学の学びでは得られない知識や経験が国際ボランティアプログラムにはたくさんあるはずです。一度きりの大学生活、自分が見ている世界を変えてみませんか。
“Mimpi adalah kunci untuk kita menaklukkan dunia” 「夢は世界を変えるための鍵」
インドネシアでは誰もが知っている有名な歌「虹の少年たち」の始まりの一節です。
世界のリアルな現状を知りたいと思ったことが大きな理由です。
大学に入るまで一度も海外に行ったことがなく、ただ漠然と留学にあこがれていました。はじめは、特に国際ボランティアプログラムへのこだわりはなく、むしろ、交換留学を真剣に考えていました。しかし、国際ボランティア担当の先生とたまたま出会い、徐々に国際ボランティアにひかれていくようになりました。先生の部屋を定期的に訪れていく中で、国際協力について、強く興味を持ち始め、今の世界で起こっていることを自分の目で見て感じたいと思うようになりました。現地の人々とともに汗水たらして働き、長い時間を一緒に過ごすことで、教科書やインターネットの情報だけでは得られない世界の本当の様子を知ることができるのではと考え、参加を決めました。
また、将来、高校の教師を目指しており、現地での経験が、教師になった後にも役に立つと考えました。教科書に書かれていることばかりを教える教師ではなく、実際に経験してきた、リアルな世界の状況を伝えられるような教師になりたいと思っていたことも、国際ボランティアプログラムに参加した理由です。
これら以外にも、ただ毎日学校に行くだけの学生生活ではなく、多くの人がやらなさそうなことをやってみたかったことも理由の一つです。中長期で途上国に派遣される他にはない貴重なプログラムで、一生の経験になることは間違いないと直感的に感じました。
世界のリアルな現状を知りたいと思ったことが大きな理由です。
大学に入るまで一度も海外に行ったことがなく、ただ漠然と留学にあこがれていました。はじめは、特に国際ボランティアプログラムへのこだわりはなく、むしろ、交換留学を真剣に考えていました。しかし、国際ボランティア担当の先生とたまたま出会い、徐々に国際ボランティアにひかれていくようになりました。先生の部屋を定期的に訪れていく中で、国際協力について、強く興味を持ち始め、今の世界で起こっていることを自分の目で見て感じたいと思うようになりました。現地の人々とともに汗水たらして働き、長い時間を一緒に過ごすことで、教科書やインターネットの情報だけでは得られない世界の本当の様子を知ることができるのではと考え、参加を決めました。
また、将来、高校の教師を目指しており、現地での経験が、教師になった後にも役に立つと考えました。教科書に書かれていることばかりを教える教師ではなく、実際に経験してきた、リアルな世界の状況を伝えられるような教師になりたいと思っていたことも、国際ボランティアプログラムに参加した理由です。
これら以外にも、ただ毎日学校に行くだけの学生生活ではなく、多くの人がやらなさそうなことをやってみたかったことも理由の一つです。中長期で途上国に派遣される他にはない貴重なプログラムで、一生の経験になることは間違いないと直感的に感じました。
世界のリアルな現状を知りたいと思ったことが大きな理由です。
大学に入るまで一度も海外に行ったことがなく、ただ漠然と留学にあこがれていました。はじめは、特に国際ボランティアプログラムへのこだわりはなく、むしろ、交換留学を真剣に考えていました。しかし、国際ボランティア担当の先生とたまたま出会い、徐々に国際ボランティアにひかれていくようになりました。先生の部屋を定期的に訪れていく中で、国際協力について、強く興味を持ち始め、今の世界で起こっていることを自分の目で見て感じたいと思うようになりました。現地の人々とともに汗水たらして働き、長い時間を一緒に過ごすことで、教科書やインターネットの情報だけでは得られない世界の本当の様子を知ることができるのではと考え、参加を決めました。
また、将来、高校の教師を目指しており、現地での経験が、教師になった後にも役に立つと考えました。教科書に書かれていることばかりを教える教師ではなく、実際に経験してきた、リアルな世界の状況を伝えられるような教師になりたいと思っていたことも、国際ボランティアプログラムに参加した理由です。
これら以外にも、ただ毎日学校に行くだけの学生生活ではなく、多くの人がやらなさそうなことをやってみたかったことも理由の一つです。中長期で途上国に派遣される他にはない貴重なプログラムで、一生の経験になることは間違いないと直感的に感じました。
私がプログラムを通じて得たのは、ゼロから新しいものを創り出す発想力と行動力です。日々の授業内容やカリキュラムは自身で決めることができたため、教材作りを含め、日々ゼロから授業を生み出す日々でした。その経験が、0から1をつくる発想力の豊かさや、1から10をつくりあげる行動力につながったと実感しています。 また、異文化の中であっても人々を巻き込みながらイベント企画を進めていく異文化コミュニケーション力もつきました。周りに全く日本人がいない環境で、言語も文化も価値観も違う人々と信頼関係を築きながら「けん玉大会」という一大イベントを成功させられたことは大きな自信になりました。 最後に、なんといっても「どこでもやっていける精神」がついた点が大きな収穫です。ネパールでは、冬場の風に当たりながら水シャワーを浴びたり毎日お風呂に入れなかったりトイレ事情に困惑したりなど、生活面でもチャレンジングなことが多かったですが、それを乗り越えて一段とたくましくなりました!生きる力がついたように感じます。
このプログラムでは、間違いなく人生を変える経験が待っています。 帰国後、私の見える世界は一変しました。日本を離れて途上国で長期間暮らしたからこそ分かる日本の素晴らしさと課題。日本をより一層誇りに思う一方で、日本に足りないものにも気付かされる。帰国後の大学での学びも立体的になり、社会課題などに対して派遣前とは全く違う視点から切り込んで考える自分がいました。それは、日本と異なる途上国の厳しい環境の中で、ときにその違いにショックを受け、その違いから学び考え続けたことで、世界の課題が机上の空論ではなく目の前の問題、自分ごととして落とし込まれていったからだと思います。 そして何よりも、途上国で経験を積んだ人は強い。過酷な環境で一人歯を食いしばって壁を乗り越えた経験は、人生の財産であり、改めて自分を知る最高の機会でした。 国際ボランティアプログラムは、生きた学びの宝庫です! 覚悟を決めてその一歩を踏み出せば、他では得られない、かけがえのない出会いと経験が待っています。 世界を知り、日本を知り、自分を知る冒険を、ぜひ。
「国連ユースボランティア」は、アジアの大学として初めて関西学院大学が国連ボランティア計画(UNV)との協定に基づき、学生を開発途上国の国連諸機関にボランティア派遣しているプログラムです。関西学院大学を基幹校とし、2024年3月現在国内3大学(明治大学、明治学院大学、立教大学)と連携して実施しています。
参加しようと思ったきっかけ
参加を決めた一番の理由は、やはり将来国連で働きたいと思っていたからです。このように思ったきっかけは、中国にいたころに男尊女卑の考えが根強く社会に浸透していたことを肌身で感じ、強いショックを受けたことです。この経験からなぜこのような性差別が存在するのかについて疑問を抱くようになりました。その後、エマ・ワトソンが国連で行ったジェンダー平等を呼びかけるスピーチを見てとても共感し、ジェンダー平等の実現のためには自分が行動を起こさなければ始まらないと感じ、国連のような国際的な舞台で活躍したいという志が芽生えました。
大学に入学後、開発援助に関する実務経験が豊富な先生方のもとで学んでいく中で、開発途上国に貢献したいという気持ちもさらに強まりました。しかし、理論や教科書から学ぶだけでは現地の状況を理解することは難しく、途上国での援助がどのように機能しているかを知るには自ら足を運ぶ必要があると感じました。この国連ユースボランティアプログラムでは学部生であっても国連職員と一緒に活動することができ、国際援助の舞台裏を垣間見る絶好の機会であると考え、参加を決めました。
現地滞在中の印象的な出来事
印象的だった出来事の一つは、国連の日(United Nations Day)におけるUNFPAブースの運営に携わったことです。10月24日に記念される国連の日は、1945年に国連憲章が発効したことを記念し、国連憲章の誕生を象徴しています。2023年の祝賀テーマは「SDGsを巡る旅」であり、ナミビアと国連の長年にわたる関係性を称えながら、各国連機関がSDGsに向けた協力の成果をブースで展示しました。着任して間もなく国連の日におけるUNFPAブースの設計と運営を任され、さっそくブースのデザインに取り組みしました。UNFPAのブースではSDG5の「ジェンダー平等を実現しよう」という目標に向けての展示であったため、具体的にはUNFPAがSDG5にどのように貢献しているのか、どのような成果を挙げることができたかに着目して6つのポスターとビデオを作成しました。
これは私が初めて主体的に関わった活動であり、思い入れが深かったです。当日はナミビアの政府高官、市民社会組織及び各国大使館職員が出席されていました。急遽、私は上司からUNFPAブースに来場する全参加者に向けて3分間の歓迎と活動紹介をするよう頼まれました。原稿を準備することはできなかったが、ブース設計時の初心を思い出して取り組み、成功裏に終えることが出来ました。イベント後、UN Resident Coordinator(国連常駐調整官)とUNFPAの代表からは、「紹介が分かりやすく、ポスターのデザインも迫力があり好きだ」と褒められ、とても嬉しかったです。